日常において、メンタルケアは美容や健康のためにも欠かせないもの。
でも、ストレス社会において、人間関係などからくるおそれ・不安・いらだちは普通に起こる。
私もこれまでストレスと気付かず、病的要因を引き起こしてきた。
そこに向き合おうと、カウンセリング、占い、スピリチュアル・・・なんかは通ってくる人も
多いだろう。私もその一人だった。
で、たくさんのお金をかけ、それらが提唱してくることが出来ない私は自分のことをさらに
できない奴と定義づけしてしまう。
でも、ネガティヴな感情から抜け出したくて、何か良いものはないかとずっと模索していた。
そんな時、誰でもできて、お金も一円もかからず、どこでも気軽に出来るメンタルケアと出会うことができた。
それはというと、スバリ瞑想だ。
なんだー。と思う人もいるかもしれないけど、私はかつてそう思っていた。
瞑想って、敷居が高そうだし、座禅を組んで足を痺れさせながら、
肩にバンってあの叩かれるイメージをお持ちの方もいるだろう。
近年はあのスティーブ・ジョブズらが提唱したこともあり、かなり耳慣れしてきたが
周りでやってるなんてことを聞いたことはない。
でも、知れば知るほど驚くべき効果があることを知った。
だからといって難しい呼吸法や体勢はハードルが高い。
思い切って、ルールを無視してみた。自分なりのやり方で。
まず、体勢とかは自由、寝っ転がってもいいし、足を組んでも良いし、なんなら足を
放り出してもオッケー。呼吸法も無視して、やりたかったら吐く息だけ意識して
秒数とかも無視。できなければやらない。
そして頭に浮かんでくることを無にすることが一番無理。
だから、頭に浮かんでくることも良しとして、ただそれに浸るのではなく、俯瞰してみるという
心持ちにしてみる。
「あー明日これやんなきゃ」「あの人のこの言葉ムカつく」「あれ買いたいな」とかなんて
浮かんできたら、「あー、そう浮かんだんだ」「そう思ってるんだ」
と、だけ、ただただ見ているという感じ。いちいち「そうだよねー」「大変だよねー」とか
相槌は打たない。「自分に向き合う」とかもできないからやらない。
うじゃうじゃ浮かんでも「浮かんでもOKー」「はいどうぞ」という感じ。
できることとして、五感はできる範囲で排除する。テレビは消す。光も落とす、換気をよくする。
近くにスマホを置かない。(瞑想音楽が聴きたかったらそれでも良いし、お香とかも好きなら良き。
そんなふうなことをしてたら、全く続けられなかった私なのに「またやりたい」と思うようになった。これまた不思議な感覚だ。
単にスマホやテレビからそして部屋にあるすべてのモノたちから発信される「こうするべきではー?」「こうしたほうがいいんじゃない?」「こうしないと大変なことになるよ」
といった無意識に迫る情報が遮断されるから単に心地よいだけなのかも知れないけど、
1日のうちそんな時間が持てることが、なんとなくメンタルケアにつながってきているような気がしてやめられなくなってる。
もうこの際、瞑想とい呼び名を変えてみようと思う。
「Its simplity beautiful time!」略してSBTと名付けよう。
瞑想ではない、あなたがつくる新しいSBTを。私は定義したい。
もっともっと自分らしく、ハードルを下げて、心が楽になる。そんな時間を持つのも
自分を大切にするステップなのかなと。
私は私で実験中です。続く・・・
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