私がミニマリストをやめた訳。

私がミニマリズムを意識し始めたのは、まだ巷で言う「ミニマリスト」という言葉さえ

無かった今から20年近く前のこと。

カオス好きな、モノこそ心の安定だった両親に育てられた私。

倉庫には大量の日曜大工の工具やら草刈機やらで埋め尽くされ、

冷蔵庫にはパンパンに入った食材で奥のものが忘れられるのも日常茶飯事。

その時代にはそれがその頃の美学だったんだろう。

ある日私は、イレインセントジェームズさんの「人生を複雑にしない100の方法」という、

今でいう「ミニマリスト」の先駆者と言うべき本と出会った。

今でいうミニマリストの考え方に強烈に惹かれ

物を少なく所有することや身軽に生きる考え方をメリットを享受し実践してきた。

私の部屋にはベットもテレビも本棚もなく、備え付けの小さなクローゼットに入るだけの服と

貰い物のデスクに一台のノートパソコン。部屋に一枚のマットと敷布団。

唯一あったのが一輪挿しの花瓶に大好きなトルコキキョウを生ける。

そんなとてもお気に入りの空間だったが、時を経て他人と生活したり、また一人になったりと

形を変えては、私なりのミニマリズムを追求してきた。

だが、お気に入りの空間で過ごすことや、いろんな物を削ぎ落としてきた結果

私が人生で体験したかった、結婚、出産も叶えることが出来ず

それどころかパートナーにも恵まれず、健康までも害し仕事も脅かされる始末。

昨今ではミニマリズムこそが、豊さの始まりと提唱しているSNSも多く、

私はやはり削ぎ落としこそが美学と躍起になっていたと思う。

私の人生とミニマリズムとは全くの因果関係はないように思われるかもしれないが

そのことも十分私のこれまでの人生に大きな影響があったことは事実だ。

だからと言って、ミニマリズムを否定したい訳でもなく、

本来はミニマリズムこそ私を支えれくれた存在として多くを語ることが夢だった。

でも今ここで振り返った時、

本当にミニマリズムは私を幸せにしてくれるのだろうかと疑問を持つようになった。

ここからは私なりのミニマリズム、いや新しいシンプリズムについて書いていきたいと思う。

ミニマムという語源は最小限。必要最小限。という意味だ。

ただ私が提唱したいシンプリズムという語源は未だ確立していない気がする。

これから新シンプリズムという言葉を使って、私なりの人生好転反応をご紹介していきたい。

このブログがミニマリストとしてはちょっと疲れたなとか、自分なりのライフスタイルを構築されたい

方に役立っていただけると嬉しく思う。

さぁ!あなたと一緒にワクワクしながら新シンプリズムの1ページを開いていこう。

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